2015年10月21日水曜日

第1セクション キルピスヤルビーアビスコ その2

四日目。
風の強い日。雲も多め。日が隠れると寒さを感じます。
ルート上は湿地だらけ。シューズは濡れっぱなし。ちょっともうあきらめました。


強い風の中に現れたのは30m弱の幅の大きめの川。ひざ下ほどの深さの水はとにかく冷たくシューズを履いたまま渡渉することにしました。ザックが風に押されて体が振られます。緊張を強いられる渡渉でした。渡りきったときの脱力感たらありません。
川から直登ぎみに峠に進んでいるとさらに風が強くなってきました。
止まっていると体が冷えるので休憩は一息つくだけ。奥さんはゴホゴホし始めていて体調もイマイチな様子。早めに切り上げたいけれど、こんなに風が強くてはテントを張ったところで落ち着かない。そもそも岩が多いのでペグを打つのも難しいとなるとテントが飛ばされてしまいそう。なかなか厳しい状況です。風の弱い落ち着いた場所を探して進むしかありません。

と、峠の上に人影が。
赤いヒゲのハイカーが立っていました。挨拶をして少し立ち話。彼はこのエリアに入って54日目とのこと。風をまったく気にしていない様子でなんだかそもそも身体の作りが違うようです。風が強いなんてここでは当たり前すぎて気にしてないだけかもしれないけど。

奥さんは彼に「赤ひげ」とそのまんまなアダ名をつけて「グッドラック ハッハー」と言っていたと勝手に口癖を作って笑っていました。気分転換になったようでなにより。

その後、私は湿地で転んでフリースを泥まみれにしたことでなぜか気分か切り替わって楽しくなってきました。どうしょうもないねって思うと気分は上昇するようです。


風は相変わらず強いものの歩き慣れてきたこともあってテンポよく余裕を持って歩けるようになってきました。
峠を越え平らな道を進むと最後は緩やかに下る谷の上。視界が開け眼下に小屋が見えました。今日目標にしていた30km先のDividals hytta小屋です。もう30km? そういえば途中の道標には25kmって。どっちでも目標距離は達成しているのでまぁいいとしましょう。奥さんはだいぶ無理して歩いてくれたようです。感謝感謝。
この日は小屋の脇にテントを張りました。テントを張ったら雨が降ってきたのはお約束。
一晩中雨、風ともに強く落ち着いて眠れない夜でした。

五日目
出発前に雨はやんで天気が回復傾向になりました。
トレイルは川に向かって下りていき森の中へ。川沿いは蚊が多く止まって休憩することができません。とにかく早く抜け出したいとショートカットの道標に従って進みますがすぐに道を見失い結局は戻ることに。その間も蚊に刺され続けて痒いこと痒いこと。
元の道に戻って橋を渡りつぎの峠に向かって高度が上がっていくと蚊も減ってようやく落ち着いて歩くことができるようになりました。
眼下の流れは青くて見た目に涼しく滝も爽やかに見えて暑さを感じる登りでも気持ちは爽快でした。11時近くになると風が強くなってその後は一日中強風。さらに蚊が減って快適になっていきました。
 道中に珍しく木道が設置されていて、あまりの歩きやすさに感動を覚えてみたりするわけです。高速道路だねぇなんて言いながらスタスタと。さすがのノルウェー人もここに木道がないと大変なことになるというのが分かっていたようで何よりです。

 
怪しげな道標に惑わされることなく進み、森を抜けていつもの北欧トレイルに戻ると年配のハイカーとすれ違いました。お互いに英語が下手でイマイチ話がかみ合わないのですが、地図を見せながらどこから来たのかと何日目かとここは素晴らしいとどうにか伝わったのではないかと。あちらは11日ほどこのエリアを歩いているのだということはどうに理解できた感じです。(ちなみに、地図を見せた時に老眼鏡をかけていたので彼はローガンさんということになりました。)

トナカイ先輩に睨まれつつもそれから1時間半でVuoma hytta小屋に到着。
強い風を避けるように小屋の脇で休んでいると向かいの小屋から青年がこちらに歩いてきて話しかけてくれました。ヘンドリックと名乗るその青年は6ヶ月ほど日本に留学したことがあると日本語混じりに話してくれるのですが心の準備ができていなかったのとちょっと疲れていることもありあまり言葉が出てきません。会話も弾まず・・・ちょっぴり気まずい空気。悲しそうな顔のヘンドリック。日本人相手に楽しい会話をしたかっただろうに。
ごめんよ、ヘンドリック。

申し訳ないことをしたねと話しながら再出発。
しかし、今日の目標だったVuoma hyttaに到着してしまったことで奥さんのモチベーションがダダ下がり。まだ早い時間だったので少しでも距離を稼いで今後を楽にしたいところですが無理をさせても仕方がないので早めにテントを張ることにしました。
風が強いので風が避けられるところを探して歩きます。低いとこを見て回りますが湿地だったり石が多かったり。一度、窪地で試してみますがペグが奥まで刺さらず風で倒れそうなので断念。峠への登りを30分以上歩いたでしょうか。ようやく水のない深い窪地を発見してテントを張りました。
雨も降り出してテントの中でここまでのこと、これからのことをボンヤリ考えながら過ごします。

自由にテントを張っていいということで歩いていても快適な場所というのは少なく毎日多少なりとも妥協していました。この日も風を避けられることを最優先させたので水場の近くではないし風景もよくはありませんでした。それでも、風をうまく避けることができてテント内だけは快適な場所を確保できたことが嬉しくちょっと誇らしい。
 毎日、違った風景と何らかしらの困難。常にFunな状態ではないけれど考えて行動して解決したり諦めたりしてどうにかこうにか進んでいけるこの状況。余計なことを考えずに歩けることは幸せなのかもしれないなと思うのでした。

2015年10月7日水曜日

第1セクション キルピスヤルビーアビスコ その1

14時30分にキルピスヤルビのホームセンターを出発。
初日はフィンランド、スウェーデン、ノルウェーの三国国境を目指します。
 三国の国境は有名な観光地なので最初に駆け込んだホテルの受付で情報を教えてもらえました。トレイルまでは5kmあって途中2kmのところにショートカットできるボート乗り場があるとのこと。ボートには乗らない予定で歩き出してはみたものの、舗装路歩きはつらいもの。歩き出しは荷物も重く10分くらいで心は折れ気味。ボート乗り場へ行ってみることにしました。
もうちょっと観光地っぽいボート乗り場を想像していたのですけどもね。本当にここなのか疑うレベルでした。手前の小屋の時刻表を確認すると次の出発は2時間後。なかなか微妙な時間です。
初日からボート待ち2時間はないでしょうってことで仕方なくトレイルまで歩くことに。
トナカイ先輩とすれ違いつつ。3km先のトレイルの入り口まで。
舗装路の脇の砂利道に道標があってそこからトレイルに入っていきます。
「スタートです!ババーン!」みたいな入り口を期待していた奥さんはちょっとガッカリしたようでした。そもそもトレイルの途中から歩き始めるので仕方のないことなんですが、国立公園の入り口でもあるのでもう少しなにかあっても良さそうだとは思うのですけどね。
そんなことを思いつつも、やはり北極圏トレイルを歩き始めたという高揚感に包まれていました。先ほどまで感じていた荷物の重さもあまり感じなくなっています。
前半は北極圏らしい原野で坂を登るたびに気持ちのいい景色が広がります。素晴らしいなって思って振り返ると奥さんが「素晴らしい景色だね。」と。同じことを思ってくれていて嬉しかったです。

しかし、意気揚々と歩いていたのは行程の半分ぐらいでしょうか。高度が下がって森に入ると渡渉あり湿地ありで1つ1つは楽しいものの進みは遅く、移動から休むことなく歩き始めているので疲れも出てきました。
シューズをグショグショに濡らしながらどうにか国境に着いたのは21時を過ぎたころ。
荷物を置いて木道を歩き湖の中の国境点に向かいます。そして2周回って国境を歩いて跨ぐことを満喫。トレイルに戻ってスウェーデン側に移動してテントを張りました。
(フィンランド側の国立公園内はテント泊禁止だったためです。)

二日目は6時起床。夜に雨が降ったらしくテントはビショビショに濡れていました。乾くのを待ちながらゆっくり朝食を食べ8時に歩き始めました。
 トレイルというか原野の中はどこを歩いてもよいのですが、積まれた石にペンキが塗ってあるマークに沿って進むと踏み跡があって歩きやすいのです。道を外すといきなり崖の上だったり湿地の中だったりするのでショートカットするよりも設定通りに歩くほうが結局は早いという結果に。
トレイル従っても湿地にまっすぐ突っ込んでいくこともあるのでトレイルランシューズがいつも濡れっぱなしなのはなかなか萎えますけどね。

雲が多い空模様で気温も低くなくハイキングにもってこいのこの日はのんびりと歩いていました。私も奥さんもランナーなので1日20kmは余裕でしょうと。トレイルランのレースだったら4〜5時間で到達する距離なんです。日が沈むのが22時過ぎですし10時間ぐらいは歩けるんじゃないかと。つまりは1時間に2km進めばいいわけでかなりのんびりしていました。ゆっくりで楽しいハイキングだねぇなんて話していたころ道標があって3時間で2kmしか進んでいないことが判明します。
 まったく進めていないことに驚きました。1日20kmの設定だとのんびりとはいかないようです。しっかり歩いてしっかり休憩ということに方針変更で進みます。

ひと雨あった後、15時ごろに小屋につきました。スウェーデンでは小屋番の人がいてハイカーを迎えてくれます。軒下を借りて雨具を脱ぎ休憩。小屋番のおじさんとカタコト英語で近くに素敵な滝があるんだとか、なんでこんな北の地まできたのかという話をしました。このあともなぜ日本人がここに来たのかという質問はよく質問されました。さまざまな理由が重なってきているのですけども、広い場所と長いトレイルが日本にはないということと姉がヘルシンキにいるからということぐらいしか伝えられないのが残念なところ。


小屋の周りは広い平原で気持ち良く歩けました。
3kmほど歩くと国境の看板がありました。道標がなくなっていたのでこの看板を目指して歩いていましたが湿地でズブズブ。あとから見つけた踏み跡から20mぐらいは離れていたところでした。湿地は踏み跡が消えてしまうのと、踏み跡があっても濡れないようにあちらこちに散らばるので辿っていくとトレイルを大きく外れることもしばしば。やっかいなところです。

それから30分ほどすると疲れも出始めたので湖を回り込んだ少し高いところでテントを張りました。直後に雨が降ってきたので無理に進まなくて正解だったかもしれません。
「16kmしか歩けていなくて焦る」と日記には書いていました。

三日目
朝から快晴で夕方まで暑いぐらいの気温でした。
4kmほど歩くとノルウェーで始めての小屋。
ノルウェーではツーリストインフォメーションなどでデポジットを払い鍵を借りるシステムで小屋番はいません。中を覗くとガスレンジ、薪ストーブやベッドなど快適そうな小屋でした。残念ながらフィンランド側からトレイルに入った我々は鍵を持っていないので外から眺めるだけです。

小屋の脇は大きい川だったので持参したテンカラ竿で釣りをしてみました。
しかし、残念ながらまったく反応なしでボウズでした。そこで出なきゃでないよねって場所にもキャストしたので魚はいなかったということにしておきます。
そして、釣りしている間にいろいろなことろを蚊にさされたのでした。
午後になると岩が多く転がる場所に歩くことが多くなかなか進みません。奥さんは滑って足首をひねってしまった様子。午前中テンポよく歩けたので最終的には20kmを達成することができましたが、奥さんには少し無理をさせたので明日が心配です。

蚊について
トレイルには大きな蚊がたくさんいます。大きいので刺された瞬間痛いです。
長袖を着ていても布の上から刺されるので肌を出して虫除けを塗っていたほうがマシなぐらいです。ヘッドネットは必須です。帽子をかぶっていないと頭も刺されます。歩いているときに一番動かない肩はボコボコになりました。
昼食のときもテントを張るときも蚊取り線香がないとやってられません。
蚊取り線香は重さが許すかぎりたくさん持っていくことをお勧めします。 

2015年9月29日火曜日

ヘルシンキ滞在から現地到着まで

トラブル続きの移動から一夜明けた5日の朝。
荷物は無事に発見され14時までに届けるとの連絡がありました。昼まで動けませんが空港から無料宅配サービスをしてくれたと思うことにしました。

その間に散歩がてらキオスクでプリペイドSIMカードを購入。
書類確認もなく簡単に買うことができるのとDNSというキャリアは7.9euro(約1200円)で一週間使いたい放題なのでフィンランド旅行のときは日本キャリアの海外サービスを使うよりもこちらのほうが安くなるかもしれません。

13時ごろに荷物が無事到着。
タグをみるとイスタンブールに行っていたようです。
特に破損もなくこれで一安心。やっと落ち着いて行動できます。
姉の案内でマーケットのスープの美味しい食堂へ。

魚介のスープにマヨネーズが美味しかったです。

その後、アウトドアショップに行きこちらで買う予定だったフリーズドライの食料を購入。
 燃料用のアルコールがどれかと聞いても店員さんもよくわからないようだったので
キッチン用品店でチーズフォンデュ用を買いました。
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地域柄、トランギアの商品の取り扱いが多くアルコール燃料を売っていなかったわけではなく、たまたま良く知らない店員さんに聞いてしまったようでした。
「SPIRIT」的な単語が書いてあるのがアルコールです。
それと日本のものより混ぜ物が多く、インクのような匂いがします。
そして、ススが多いので鍋が真っ黒になるので注意です。
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この日は特に観光するでもなく姉宅に戻り、お願いしていた地図を受け取りルートを記入したりして1日が終わりました。

6日の午前中は手に入れていないスタートからの1/3の地図を探しに行きましたが見つかりませんでした。スタート地点のキルピスヤルビで購入することになりました。
買い物はほぼ終わったので午後はヘルシンキ観光へ。




3つの有名な教会を巡り


 港のマーケットを散策し



世界遺産のスオメンリンナ島でのんびりして1日が終わりました。

そして、8月7日。いよいよ夕方からトレイルへ向けての移動です。
ユーロをスウェーデンとノルウェーのそれぞれのクローネに両替して移動中の食料を買いヘルシンキ中央駅から列車に乗り込みました。




中央左の古そうな列車に乗ります。

行き先はKokari
現地の人サイズなので日本人には余裕のある座席。車両の前半分は後ろ向きに進むので酔いやすい人は注意です。食堂車もあって窮屈がイヤな大柄のおじさんたちは朝まで飲み明かしていました。

18時間ほどでKolariに到着。
バスへの乗り換え時間は10分ほどなので急いで駅舎と思われる建物のほうへ向かいました。

KILPISJARVIと書いてあるのをしっかりと確認してバスに乗り込みました。予約をしていましたが、特にチェックもなく乗った人のほとんどはその場で行き先を告げて支払いをしていました。
列車とバスの両方の予約チケットは駅の窓口でしか買えず不便なので、先に日本で列車だけ予約しておいてバスは現地でのほうがよさそうです。(スウェーデンでもフィンランドでも郊外ではバス停に時刻表がないので事前に調べることをお勧めします。念のため予約の要不要も確認してくださいね。)

13時半に小雨が降る中、ホテルの前で降ろされました。

ここはどこ?

もちろんキルピスヤルビなのですが、もうちょっと案内所のあるバスステーションみたいなところで降ろされるのだと勝手に思っていたのが間違いだったようです。
ホテルのフロントでトレイルへの道とインフォメーションセンターのある場所をどうにか聞き出し移動します。

インフォメーションセンターは歩いて5分のところ。そこにあったのはホームセンターでした。確かにインフォメーションはあります。掲示板に紙が張ってあるだけですが・・・
店員さんに聞きまくってバイクショップでどうにか3枚の地図の確保ができました。しかし、一部どうしてもないところがあったのでそこはスマホのGPSアプリで補うしかなさそうです。なにはともあれ必要なものは全て揃いました。


バタバタしている間に青空が広がってきています。
まだまだ不安ではありますが、開き直るしかなさそうです。
気持ちも切り替えいよいよ出発!

ついに次回からハイキング編スタートです。

2015年9月24日木曜日

出発からヘルシンキ到着まで。

6月から本格的な準備を始め、7月には実際の装備でテストハイキングをしました。
幾つか修正をしていよいよ出発です。
8月3日の夜に成田を出発。


アブダビで明け方まで乗り継ぎ便を待っていました。
免税店をみたりベンチでウトウトしたりとどうにかこうにかヒマをつぶしました。
そろそろ出発に向けて移動しようかなというところで不安が現実のものになったのです。

「delay airberlin Berlin」

 搭乗機は2時間後の出発に変更になっていたのです。そう2時間後。ベルリンでの乗り換え時間は1時間30分。これはアウトです。エティハド航空のサービスカウンターに相談に行っても便は出るので乗ってベルリンでどうにかしろとしか言われないのでどうにもなりません。
飛行機でのこういったトラブルは今まで経験もなく初めての出来事です。LCCでは便数が少なく当日振り替えはなさそうです。しかもほとんど英語が話せない二人。不安ではありますが、ジタバタしても好転はしないので2時間遅れの飛行機に乗りベルリンへと移動しました。

ベルリン到着はヘルシンキへの出発20分前でした。バスに乗りターミナルへ入り入国審査へ。パスポートの写真が10年前であまりに顔が変わりすぎていて睨まれて運転免許証の提出を求められ最後は仕方なくといった感じで入国を許可されました。残り10分。手荷物検査を抜け搭乗ゲートへ向かうも当然のようにクローズドでした。引き返して辺りの職員に聞いてもインフォメーションに行ってもとにかくゲートへ行けの一点張り。3回手荷物検査を通ったところでなにも解決せず。英語が拙すぎて場所がわからないのかと誘導されたりもしました。最後にようやくチケットカウンターで相談することを教えられエアベルリンのカウンターへ向かうのでした。

チケットカウンターで話をすると「それはもうフィンエアに振り替えになってるわよ。」とサラっと回答されました。ここまでのバタバタはなんだったのでしょう。知っていれば慌てる必要もそこまで不安に必要もないことだったのです。無知ゆえの徒労でした。

脱力しつつフィンエアのチェックインカウンターに向かいます。
エアベルリンから聞いてきたと話をすると、満席だからウエイティングリストに載せるけどそれでいいかと聞き返されます。

え?

エアベルリンから連絡はきていないようです。
出発30分前にまた来いと言われ2時間ほど空港内をウロウロ。
自分たちではどうにもできないことなので落ち着いてドイツビールでも飲んでればよかったんですが、そんな気持ちにもなれず落ち着かない時間を過ごしました。

そして、約束の時間になりカウンターへ。
「おーマツモト〜待ってたぜ。チケット取れてるから早く〜」(意訳)
先ほどと全く対応が違いました。フランクな話ぶりと笑顔で素早い発券。さっきのは確認不足だったんじゃないかと疑っています。
どんな形であれ先に進めるということに胸をなでおろし飛行機に乗り込みました。



バタバタの疲れで飛行機内ではグッスリ寝てしまい目が覚めるとすぐにヘルシンキに到着。予定より4時間遅れの到着でした。それでもたどり着くことはできました。やっと終わった。と、思っていたのが甘かったのです。トラブルは続きます。

次に起こることはもう1つしかありません。そうバゲッジロスト。どんなに待っても荷物は出てきません。それはもう「かもめ食堂」のもたいまさこさんのように・・・
仕方なくカウンターへ行き説明し姉宅の電話番号を伝えて連絡を待つことにして姉宅に向かいます。

23時近くで日の入り直後のような通りを歩いて駅へ。電車でヘルシンキ市街地に移動しました。ヘルシンキ中央駅では姉が迎えに来てくれていて助かりました。
 こうしてようやく長い移動がひとまず終わり、26時間ぶりに布団で寝ることができたのでした。

2015年9月23日水曜日

チケットの確保と計画

年末に話したきりでその気になったまま3ヶ月が過ぎました。 北極圏トレイルを歩くのだと知り合いには話していたものの全く下調べもしていないし計画も立てていない状態です。ボーッと過ごしていたわけでもないのですが、気がつけば連休も近づいてきていました。春の連休が終わったら夏の航空券は高いものしか残らないのではないかと慌ててチケットを探しを始めます。

出発日は8月3日。
理由は今回のハイキングはおおよそ600kmなので1日20km歩いて30日。休息や天候が悪くて停滞することを考えてさらに1週間それに加えて前後の移動で1週間と考えて44日。なんかよくわからないけどキリが悪いので45日。現地では9月の後半はいろいろなサービスが終わってしまうとの情報があったので9月の中旬には終わらせたい。ということで8月初旬に出発しなければ終われません。3日にしたのは月曜日なら少しは安いかなと考えました。(白夜の6、7月は蚊が多いと聞いたので最初から外してました。)

出発日を決めたのでネットでチケットを探します。とにかく節約して行きたい。時間はあるので乗り継ぎが多くても安いチケット、LCCを調べます。しかし、イマイチ「これだ!」というものがなく結局はHISに駆け込むことになりました。

行き先はフィンランドのヘルシンキで帰国日が不確定なので行きのチケットだけ買いたいと言ってカウンターで相談を開始しました。そして、程よい価格のチケットが見つかり手配をお願いしました。
そのときです。

「シェンゲン協定*に参加している国では帰りのチケットがないと入国でしません。」

 隣から様子を見ていた担当者の先輩らしき人が電話で確認をとってから教えてくれました。
あら?担当さんは気にされてなかったようですけど…

仕方がなく往復で探しなおし。FIXでお願いしてそれに合わせるように歩くのはかなり難しいのでOPEN/FIXで帰国便を有料でも変更できるようにして探してもらいます。FIXより高くなってしまうのは仕方ないところです。
そして、見つけられた中から最安値のチケットで決まりにしようとしたところでハタと気がつくのです。

「あ、帰りはヘルシンキじゃなくてストックホルムからだった。」

またまた探しなおしです。担当さんごめんなさい。
そしてようやく決まったのが

行き:成田 ー アブダビ ー ベルリン ー ヘルシンキ
帰り:ストックホルム ー フランクフルト ー アブダビ ー 成田

という便でした。
成田ーアブダビとフランクフルトー成田間はエティハド航空でアブダビーヘルシンキはエアベルリン、ストックホルムーフランクフルトはスカンジナビア航空という構成です。
共同路線なのでチケットはエティハド航空からの購入。帰り便の変更はエティハド航空に電話で直接と説明されました。

ここで少し心配だったのはドイツでのトランジット時間。行きも帰りも90分だったのです。シェンゲン協定国なので入国、出国審査がベルリンとフランクフルトであります。普通にいけば間に合うのですが飛行機が少しでも遅れると困ったことになるのです。
そして、この心配は現実のものとなってしまうのですが、それは次回に書きますね。
(リアルタイム投稿はコチラ

さて、もう完全に行くことになったので計画を練ります。
 とはいうものの、本当に情報が少ないのです。北極圏トレイルのフィンランド側のスタート地点に行けるかどうかもなかなか怪しい状態だったので、「北緯66.6°」と同じところを歩くことにしました。(下の地図だとロシアからのスタートですね。)


 


スタートはKilpisjarviからです。そこから最初の補給地のAbiskoまでは190kmでこれを10日で歩きます。(森山さんは8日で歩かれてますが、私たちはそこまで早くないだろうと予想)
AbiskoからRitsemまでは230km。(トレイルはVaisalouktaまでで船で対岸のRitsemに渡ります。)歩き慣れてきたら10日で歩けるのではないかと思っていました。11日かけても次が少し短いので大丈夫なはずです。
RitsemからゴールのKvikkjokkまでは160km。ゆっくり歩いても10日はかからないはずです。
これにAbiskoとRitsemで1泊ずつを足して全日程の計画としました。
何事もなければ30日以内には収まりそうです。

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と、 考えていたのですが、最後の区間の距離を勘違いしていました。
最後の区間の160kmは上の地図の黄色い線Padjelantaledenの距離です。Ritsemから船で渡るところが違って途中から全部同じトレイルを歩くのだと思っていました。しかし、実際はさらに途中から分岐してもっと長い距離になっています。
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次に現地での予定です。
この時期近くの空港まで飛行機の便はないらしく現地の移動は列車とバスです。
4日にヘルシンキに到着して5日に移動ではつらいのでヘルシンキ観光も考えて7日に移動をすることにしてチケットは現地にいる姉に手配をしてもらいました。

列車 ヘルシンキ発:18時23分  Kolari着:9時48分
バス Kolari発:10時00分 Kilpisjarvi着:13時25分
(ここで調べられます。https://shop.vr.fi/onlineshop/Welcome.do

19時間02分の移動で料金はひとり141,60Euroです。レートは149.ほにゃらら円だったので21000円ちょいといったところ。これを寝台車にすると+50Euroぐらいなのでかなり厳しい料金です。ここは普通の椅子でがんばることにしました。

こうして現地までのチケットの手配が済みまして、出発となります。
長くなったのでまた次回に持ち越しです。

*シェンゲン協定:今回の場合は協定に参加している国間の移動には出入国審査はないよぐらいに理解していておいてください。正確には違うかもしれません。詳しくはウィキペディアのシェンゲン協定をお読みください。

2015年9月21日月曜日

そもそもの始まり。

北極圏トレイルに行こうという話になったのは2014年の12月のこと。
森山さんの「北緯66.6°」をウチの奥さんが読んだことがキッカケでした。
もちろん、その前に自分も読んでいたわけで。
森山さんが歩いた話はその年(だったか)のPEAKS(だったかな?)を読んで知っていました。
さらにライターのシェルパ斉藤さんがクングスレーデンという北欧のトレイルでフェールラーベンクラシックに参加した話もBE-PALで読んでいました。
なぜだか他の記事はあまり記憶に残っていないのにこの2つの話だけはずっと覚えていたのだから自分の中でもなにかひっかかるものがあったのだと思います。

ここのところロングトレイルハイキングはハイキング業界で目玉の1つになっいてアメリカのロングトレイルの話を頻繁に聞くようになりました。
その約1000〜4000km以上という途方もなく長い距離のトレイルはハイカーの憧れの地になっています。
ロングトレイルが話題なのはアメリカのトレイルだけではなく日本にもロングトレイルを作り、アメリカのロングトレイル文化を正しく、そして日本に合うように広めていこうという人たちの努力の賜物であるわけですけども。

そういったわけでロングトレイル≒アメリカの文化みたいなイメージがどうしてもするわけです。
誰もそんなことはいっていなくても情報量がそうなってしまってます。
そして、年々アメリカを歩く日本人は増えていっているそうです。
私だって行きたい。
しかし、私には許可書の手続きやヒッチハイクがとても高いハードルに感じられて行きたくてもちょっと無理だなと感じていました。
そんなに時間とお金の用意ができないということもあったんですけど。
今回、北極圏トレイルを歩き終えて、アメリカも行けたらいいなと思いました。

では、なぜ北欧の北極圏トレイルなのか?
それは マイナーなことに加え「北緯66.6°」の中の一番有名な
「好きなところを歩いていい。好きなところで眠っていい。」
この一文に撃ち抜かれたから。
日本では登山道を歩くことはもちろん、テントは指定地に張ることが基本。
アメリカだってトレイルを歩く。(テントはそれなりに自由らしい?)
それが、もうどこを歩いたっていいし、どこでテントを張ってもいいと書かれています。
その自由を感じてみたい。
自分の経験と知識を総動員して楽しむ自由。
それを体験したかったからです。

そして、理由がもう1つ。
マイナーゆえによく分からないところだから。
とにかく情報が少ない。日本語だと本当に2〜3サイトしか出てこない。
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あとで分かることなんですが、キーワードを北極圏トレイルの「Nordkalottleden」にすると英語でも少なくて途中の補給地「Abisko」だとか一部重なっている「クングスレーデン(Kungsleden)」だと検索にかかります。
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分かることといえば、とにかくなんにもないこと。
そのぐらい。
頼りは 「北緯66.6°」だけ。
いいのかそれで。
いや、それだからいいのだと。
こうすればいいという教科書がない状態。
「北緯66.6°」だって細かいところはまでは書いてない。
 全てが手探りってのも面白いじゃないですか。

そういったことがあり、「北緯66.6°」読んだ 奥さんが「行きたいなぁ〜」を連呼するのでその気になっていた年末。
不思議というかこういうのを運命というのでしょうかね、帰省したときに姉も帰っておりまして、この姉というのがいつの間にかフィンランドに移住していまして(私が数年前まで知らなかっただけなんですけどね。)観光関係の仕事やライターをしているということで北極圏トレイルってどんな感じなのか聞いてみたわけです。
姉はハイカーではないので幾つかのサイトを紹介してくれたのと情報を友達に聞いてみるというところで話は終わったのですが、もし行くなら支援をしてもらえるという話になりました。

これは行くしかないだろうと。
ちょうどそこのころ人生の夏休みパート2がスタートすることも決定し全ての歯車がかみ合ってこの夏につながっていくのです。
(続きます。)

改めて最初から

時差ボケで眠れないので前フリを少し。

北極圏のトレイルを歩き終わって帰国したので改めて最初から書きます。
ここまではほぼリアルタイム更新でした。
電波の入らなかったヘルシンキからキルピスヤルビまでの移動、ハイキングスタート時やハイキング途中はまったく書けていません。電波の入るときだけ現状報告ブログでした。
これから落ち着いて14〜16回ぐらいに分けてレポートを書いていきます。

予定では
計画と出発〜ヘルシンキ滞在(追記:4回にわかれちゃいました。)
ヘルシンキからキルピスヤルビ到着、ハイキングスタート
ハイキングスタートから第1補給地のアビスコまでを3回ぐらいに分けて
アビスコから第2補給地のリッツェムまでを3回
リッツェムからゴールのキビックヨックまでを3回
クビックヨックからストックホルムに戻りヘルシンキに移動した経緯
ヘルシンキ滞在とエストニア観光、ストックホルムから帰国
道具や食料について

と、いうような分け方で書きたいと思ってます。長文になりすぎたら回数増やします。
最後まで頑張って書きたいと思います。
(ですます調のほうが書きやすいので文体も変わります。)

帰国しました。

帰りもバタバタだったけど無事に帰国。
写真の整理をしつつ少しずつ日本出発から帰国までをブログに書いて行く予定です。
少し時間ください。

2015年9月18日金曜日

ヘルシンキ滞在の日々と今現在。

ハイキングと関係なくなっているので短めに書きますよ。
帰りの便が前倒しできなくてフェリーでヘルシンキに移動して姉宅にお世話になることになったまでが前回。
到着した日は洗濯をしただけで外出もせず。
2日目はArabiaファクトリーショップでお皿とコップ、H&Mで滞在中の服を買う。
3日目は郊外にあるヌークシオ国立公園にピクニック。
4日目、5日目はフェリーで対岸のエストニアのタリンに行き観光。久しぶりにまともなビールを飲む。
旧市街が世界遺産という街。
6日目は買い物と散歩。
7日目はお土産、夜食の買い出しの後、フェリーに乗船。

と、いう感じで一週間が過ぎ今日はストックホルム観光とお土産を買って空港に移動。
明日の朝の出発までベンチでこのブログを書いている状況。(チェックインが早いので市街地からだと間に合わないため)
そんなこんなでそろそろ帰ります。

2015年9月10日木曜日

彷徨っている。

ゴール後、Kvikkjokkで一泊して朝5時20分のバスに2時間乗りJokkmokkに移動。

サーミ博物館に寄ってラップランドとサーミの人たちの文化について学んだりして観光。
17時20分に再びバスに乗りBodenへ。
そこから寝台車に乗ってストックホルムへ。
降りたのが9時20分だったのでKvikkjokkからストックホルムまで29時間使って到着。
その間に姉にお願いして飛行機の便を変更しようとしたところ…


あ…ありのまま 今起こった事を話すぜ! 
やつを追う前に言っておくッ!
おれは今 やつのスタンドをほんのちょっぴりだが体験した
い…いや… 体験したというよりは 
まったく理解を超えていたのだが…… 
あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ! 

「おれは日本行きのエアに乗り込んだと思ったら いつのまにかフィンランド行きのフェリーに乗っていた。」 

な…何を言っているのかわからねーと思うが  おれも何をされたのか わからなかった
 頭がどうにかなりそうだった… 
催眠術だとか超スピードだとか そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…

ポルナレフ風に言うならこんな感じなことになった。

実際は4日後まで便に空きはなくそれならなるべくお金を使わないよう帰り便の変更はせずにヘルシンキに移動して姉宅にお世話になるのが一番の選択ではなかろうかとなったわけで。
夕方にヘルシンキ行きのフェリーに乗ってヘルシンキに到着したとろ。

まぁ、そういった訳で一週間ほどヘルシンキ滞在となったのであった。

2015年9月8日火曜日

Kvikkjokkに無事ゴール

RitsemからPajelantaledenを通しで歩いて最後は渡しボートでKvikkjokkに無事到着。

周辺の小屋は9月6日で閉まってしまうというギリギリのタイミングでゴールしました。
9月1日に霜が降りるほど寒くなりそのあたりもギリギリだった。
トレイルは歩きやすく途中、オーロラも見えて素晴らしい3区間目だった。

2015年8月29日土曜日

Ritsemに到着

前回と同じく昨日の14時頃に第二補給地のRitsemに到着。


ここまでの第2セクションは9日は快晴でかなりの日焼け。北欧帰りとは思えない黒さ加減。一昨日から雲が多くなり昨日今日は雨が降ったり止んだりを繰り返し。明日のスタートが心配。


とりあえずビール飲んで過ごす予定。

2015年8月16日日曜日

Abiskoに到着。  


昨日の14時頃に最初の補給地のAbiskoに到着。足をひねった奥さんの回復を待つために休みの日(ゼロデイ)にしてノンビリ。
奥さんは新たにハイカットのシューズを買ってゴキゲン。

Abiskoのツーリストステーションはハイカーが今欲しいモノ、サービスが揃っていて天国みたいなところ。トレイルの情報はもちろんのこと広い休憩スペースはあるしトイレットペーパーも洗剤も虫除けもシューズも売っているし、シューズ洗い場もザックの重さを量る秤もある。ここでは当然なことかのかも知れないけど素晴らしい施設。天国だよ天国。


ここまではなかなかハードなルートだったのでここからしばらくクングスレーデンとの共通ルートが優しいことに期待して体力回復に努める次第。

2015年8月7日金曜日

荷物が届いた。


荷物は無事に手元に戻った。
タグを調べてみるとどうやらイスタンブールに行ってしまっていたようだ。待っている間は落ち着かなかったが、問題なく戻ってきたらこれはこれで面白い出来事だったと思えてくるから不思議なものだ。


落ちついて行動できるようになったので足りないものの買い出しに。
ヘルシンキのシティーセンターに2軒のアウトドアショップが向かい合って営業している。そのなんとなくセンスがよさそうな店でフリーズドライ食品を購入。
写真左側の緑のパッケージは朝食向きの軽食タイプ(たぶん)。右側のオレンジは二人前ぐらいのボリュームがあるガッツリタイプ。それぞれ3種類6食分を購入。オレンジのほうは一袋食べてみたところ、肉の歯ごたえがよく味は濃いめ。なかなか食べ応えがある。二人で1つで十分なのでだいぶ荷物量の節約になって素晴らしいパッケージだ。

燃料も売っていたのだけども、アルコールかどうか確認したところよく分からないと返ってきたのでキッチン用品店でチーズフォンデュ用に置いてあったものを購入した。(写真上の黒いボトル)

その他、虫除けスプレーとライターをスーパーで購入して残すは移動直前に買うフリーズドライ以外の食品と出発地点から200km分の地図となった。

ノルウェーがメインの地図は発見できなかったので最初の区間だけがない。森山さんの本によるとキルピスヤルビに売っているということなので現地に着いてからになる。
(在庫あるといいなぁ)

スエーデンとフィンランドの地図はヘルシンキでも手に入れやすく、アウトドアショップでもタイベック製の1/10万地図を手に入れることができる。


今回は姉に頼んでおいた1/7万の地図を使う。
(在庫しているお店がほとんどないらしい)
ルートが分かりやすい用にマーカーでなぞりメモも書きこんだ。

ヘルシンキ2日目はここまで。
準備は万端と思いたい。