2016年5月30日月曜日

アビスコにて。その2

久しぶりのベッドで寝て滞在二日目。
朝食はレストランでブッフェスタイルでモリモリと食べました。ハイキング中の切り詰めた食事の反動なんでしょうね。

その後は部屋でダラダラしたり散歩したり中庭でビールを飲みながら日光浴をしたりなど。奥さんはひねった足首の保護のためにホグロフスのハイカットのシューズを購入。湿地対策もできて喜んでいました。これからしばらくの食料と虫除けなどの消耗品も買い足しました。

エントランスの前にハカリが吊るしてあってザックの重さを量っているハイカーの図

さて、補給地でダラダラしていただけかといえばそうでもなく。
第1セクションでは情報が不足していることがよくわかったのでネットを使ってこの先の情報を調べることにしました。この先は小屋も多くて途中で食料を買い足すことができます。第2セクション全部の食料を最初から背負うのはなかなか辛いことなので可能な限り食料を減らして進むように計画を立てます。
それから、自分たちが進める距離も分かってきましたのでルートの見直しもしました。予定よりも早く第1セクションを終わってはいましたが、次の230kmは厳しい距離です。当初の予定では 北極圏トレイルを忠実に歩き、ルート上にある小屋(vaisaloukta)から湖の対岸にあるリッツェムにボートで渡ることにしていました。(このブログのこの辺参照してください。)それを途中からGransladenというトレイルを歩いて直接リッツェムへ下りるルートに変更することにしました。手に入れた情報によるとトレイルの分岐点からリッツェムまで約60kmほどで予定していたよりも40kmショートカットできそうです。画像で見る限り道標もしっかり整備されていそうなので今までと同じように進めるのではないかということで変更を決めました。(gransledenサイト

ちなみにこの日の夕食は中庭でインスタントラーメンでした。

2016年5月28日土曜日

アビスコにて。 その1


Abisko Mountain Stationはスウェーデンの山小屋を管理するSTFという団体が運営する最大級の宿泊施設です。国立公園の入口にあり、有名なトレイルコース「クングスレーデ ン」の北のスタート地点でもあります。ハイカーだけでなく親子連れで休暇を楽しむ人も多く自然の中で遊ぶためのベースキャンプ的な場所です。日本だと上高 地っぽいところといえば雰囲気が伝わるかもしれません。

さて、アビスコのバス停で降りた私たちは第一補給地に無事着いたことに感動を覚えつつ宿泊施設のレセプションに向かいました。そこはとても人が多くてごった返していました。どうやらフェールレーベンクラシックというハイキングイベントのゴールの日だったらしく次々とハイカーが到着している時間帯だったようです。昨日まで数人としか会わなかったのでどう振る舞っていいのか戸惑ってしまいました。

しばらく受付に並んで自分たちの順番になりました。これだけの人がいるともしかしたら予約なしでは泊まれないかもと思ったのですが、それは問題ないようでまずは一安心。ホテルとホステルとテント泊のどのスタイルで泊まるのかと聞かれました。テント泊は分かるとしてホテルスタイルとホステルスタイルの違いはどのくらいあるのか質問してみました。

ホテルはリネンなどの交換、クリーニング、バストイレつき。ホステルは相部屋になる可能性があること、バストイレ共同、シーツなどのリネンなし、クリーニングはセルフとのこと。(当たり前な感じではありますが、ホテルのグレードがよく分からない状態だったので聞いてみました。)
ホステルの部屋は二人部屋なので二人だと相部屋になることはほぼないようです。宿泊者が多い時はソファーに3人目が寝る可能性があるのこと。

今回はゆっくり 過ごしたいのと、気を使わずにシャワーを浴びたい、洗濯も存分にしたいということでホテルを選択。それと奥さんの足の様子も見たいので2泊することにしました。STF会員だと割引が受けられるということでその場で入会して少しお安く泊まることができました。その後の山小屋も安く泊まれるので事前に会員になっておくとお得だと思います。

部屋の用意まで少し時間がかかるということなので施設内を探検します。
売店ではハイキング中の食料はもちろんフェールレーベン、フーディニ、ホグロフスの商品や虫除け、燃料、石鹸シャンプー、地図、日焼け止めなどなど必要なものは全てありました。手ぶらで来てもすぐにハイキングに出かけられる品揃えに感動しました。
ラウンジでは翌日のガイドハイクなどのアクテビティの募集がいくつも掲示されていてそこに名前を書き込むだけで参加できるようになっていました。(もちろん有料)
ラップランド料理が食べられるレストランやサウナもあります。一週間荒野で生活してきた私にこの施設はまさに天国でした。


探検後に受付に戻ると準備ができたとのことで鍵を受け取り部屋に移動しました。荷物を投げ置きまずはバスルームに駆け込みました。汚れを落として落ち着いたら売店で購入したビールで乾杯です。いやぁ、本当にお疲れさまでした。
次にやることと言えば洗濯。これまた売店で購入した万能洗剤で衣類を片っ端から洗濯です。湿地に浸かり続けた靴下はどんなに洗濯しても黒い液体が出続けるのでした。

どうしようもないので途中であきらめて夕食へ。 せっかくなのでレストランでトナカイの肉を食べます。

リンゴンベリーの甘いソースと付け合わせはジャガイモ。ケモノの香りに甘いベリーのソースの組み合わせが美味しかったです。

部屋に戻ってまたビールを飲みながらのんびり過ごしました。
wi-fi完備なのでブログ、FBの更新やメールをしたりでベッドでゴロゴロしているうちに眠くなりまだまだ明るい20時頃就寝。

2016年5月14日土曜日

第1セクション キルピスヤルビーアビスコ その3

六日目。
雨の朝でした。風も少々。
進めないほどではなかったので雨の中でテントを撤収して歩き始めます。
(雨の中なので写真はしばらくナシなのです。)
視界が悪く慎重に目印を探しながら進みました。足元は岩、先はガスに包まれたグレーの世界を峠越え。奥さんは途中2回転んでいてとても辛くて痛そうでした。濡れた慣れない岩場をおっかなびっくり歩いているので余計に滑りやすいのでしょう。疲れもあるので踏ん張りも効かなかったのだと思います。それでも弱音を吐かずに歩いてくれる強い人です。

2時間かけて峠を越えて下りになったところで少しずつ天気が回復してきました。
お昼目標のgaskashytta小屋までもう少しというところで5人の年配ハイカーとすれ違いました。アビスコからキルピスヤルビまで2週間かけて歩くとのこと。我々がここまで6日できたと話すとストロングと一言。自分たちはゆっくり歩いて楽しむわ〜(意訳)と雨でびしょ濡れな状況でも楽しそうに話す彼女らに奥さんもいろいろと感じるところがあったようです。


風が強いながらも青空も見えてきて人と話したことで気分の良く歩くことができてすぐにgaskashytta小屋に到着。小屋の脇でお昼を済ませ次の小屋へと歩いているとドイツ人ハイカーに出会いました。軽い自己紹介の後、彼がこういうのです。

「アビスコなら湖の先からバスが出ているよ。」

え?あれ?ワープしてしまった?
アビスコまで湖沿いに舗装路歩きがあるということではありましたがこの湖の脇を走る道でバスがある?おやや?アビスコまでは70kmほどある予定なのは情報に間違いがあったのでしょうか?もう着くのだったら嬉しいなぁ。

冷静に考えればそんなことがあるはずはなく、英語の理解力が低いのと疲れていたことでいい方に考えてしまっていました。 実はこの前後50kmの地図が手に入れられず、スマホのルートアプリ参照して歩いていました。 アプリを拡大縮小して確認していればよかったのでしょうが、次の湖に対して自分たちがどこにいるかだけを確認して歩いていたのも失敗でした。


奥さんはもう直ぐ到着だと嬉しそうに歩いていきます。もうバスに乗ることも決めているようです。そして直ぐに湖に出て対岸に回り込むべく湖沿いのトレイルを進みます。やっぱり何かおかしい。もう一度アプリを立ち上げ地図を広く見ると・・・
1つ手前の 湖だということに気がつきました。うなだれる奥さん。残念でした。



と、まぁ少しがっかりして忘れていた疲れが出てきてしまったようなのでこの日は早めに川が湖に流れ込む直前の綺麗で水量豊富な場所にテントを張って汗を流して寝てしまいました。

七日目
 風が強く雲の多い朝でした。歩き始めてすぐに別荘地に到着。整備されたトレイルで歩きやすくスタスタと進んで行きました。


車道に出て石積みでせき止められたダムの上を歩いて進みます。工事現場の脇をすり抜けてなんとなく下界に降りてきた感じがしました。会話も昔のテレビ番組の話になったりとか。
そういえば歩いている間は特に会話はありません。たまに目新しいものがあるとその話題になったり、急に歌を歌い出したり、足の調子を聞いたりとか程度です。ぼんやり歩いている時間が多かったです。


なんとなく落ち着かない下界を足早に抜けてトレイルに戻りました。しばらくはジープ道と交錯するしっかりとした歩きやすい道を上って峠手前からはまた道なき道を歩きます。ラクダのこぶが連続するような歩きにくい場所でしたが、これが北緯66.6°に出てきたアレだと思うとそれはそれで面白いものでした。なかなか前には進みませんでしたけど。
この日は本物のアビスコがある湖が見えてきたところでテントを張って終わりにしました。

八日目。


湖まで降りて湖沿いをぐるり。途中で奥さんが三日目に捻った足が痛いとのことでテーピングをして進みました。どうにか午前中で舗装路に出ることができました。あと15kmほどでアビスコに着きます。しかし、奥さんの足は限界でバス停を探すことに。2kmほど歩くとバス停はありましたが日本のように時刻表がないのでいつバスが来るか分かりません。そもそもバスが走っているのかも怪しい感じです。仕方なく5km先の駅とホテルがあると地図に出ているBjörklidenを目指して風の強い中トボトボと歩くきました。途中、道の脇の川で水を汲んでお昼。日本で川で水を汲んで食事を作るなんてあんまりないねーなんて二人で笑いました。

Björklidenは街ではなくてスキー場のあるリゾート地で夏場である今は閑散としていました。駅舎はあるものの誰もいなくて情報も何もありません。駅前にはバス停もありますがここも何の表示もなく、どうしたものかと途方に暮れていると後ろからバスが!素晴らしいタイミングでした。ここで本気を出す奥さん。飛び跳ねるように手を振りバスを止め行き先を確認後、交渉して乗せてもらうことができました。さっきまで疲れてぐったりしていたのに。人間てすごいなぁ。

そこからアビスコまではあっという間。文明って素晴らしい。降り際に料金を払おうとしたら受け取ってもらえませんでした。小さなアジア人が必死に助けを求めてきたので同情したのでしょうか?一区間分の料金を徴収するのが面倒だったからでしょうか?とにかく感謝してバスを降りました。

ということでキルピスヤルビから180km(+バス10km)を八日間かけて第一補給地のアビスコに到着です。

アビスコ滞在編に続く。